令和3年7月18日
梅雨明け前日の日曜日に登山に行った御在所岳の山中、心筋梗塞で倒れ、頂上ではなく天に登るところでした。
岩の間を急な登り道を上る中道コース、梅雨の間登れなかったので久しぶりでとってもきつかった。
先頭で自分のペースで歩かせてもらったのに30分の道を1時間もかかってしまい、山道が広くなったところに来たので休憩しました。
胸がやたら締め付けられるように痛いので仲間には頂上を目指してもらい、私は来た道を下山することにして横になり休みました。
それから1時間半ほど意識を無くしていたようで、登山者の「あと2時間くらいで雨が来るんだって」という言葉で目が覚めました。起き上がって少し楽になった気がしたので仲間にLINEして下山することにしたのですが、1mくらいの歩いたところで頭がふらつき倒れました。胸が痛くなってきて立ち上がれなくなったんです。友人になんとか電話してSOSを出す。下山してきた登山者の男性が声をかけてきたので助けを呼んでいると伝えたら119番に連絡してくれました。
「初老の女性が倒れています」と電話してるんです。
横になりながらも「なんかうれしくないなあ、失礼やな」と思いながら胸の痛みに耐えていました。
救急車は仲間がすでに連絡してくれていて山岳救助隊も向かっているとのことで登山者の男性が現在地を伝えてくださり、救助隊の到着までそばについてくれていました。
結局、お顔も見れずお礼も出来なかったのですが助けていただいてありがとうございました。
救助隊が到着、ハーネスでおんぶされ下山、救急車に乗せられ、四日市市立病院に向かう。移動中に心電図などの数値のやりとり、心筋梗塞の疑いとの話をしている。
寒くて震えが来た、体温が33度。病院につくとすぐに手術。冠動脈の1本が梗塞、もう一本が詰まりかけていた。1本は緊急手術、もう一本は27日にカテーテルですっきりつまりをとってもらいました。
一連の救助劇は自分の事ながらすべてはっきりとした意識で聞こえていましたが夢を見ているような一日でした。
登山は日曜日だったこと、御在所岳だったこと、菰野町の山岳救助隊に助けてもらえて心臓手術の名医の四日市市立病院に運ばれたこと、自宅や伊賀の山で発症していたら今は生きてなかったかもしれません。
「強運」でした。
救助劇の1週間前、どうも体調がすぐれないので生活を正そうと思い、毎朝4時に起きておはよう倫理塾に朝5時から通い始め、毎朝お仏壇にお経をあげることと毎朝トイレ掃除する実践を始めていました。
私が倒れた前日は大台ケ原に登山のお誘いを受けていたのですが、先祖供養の集いでお経をあげる導師の役目がありましたので不参加としていました。
前日の午前、お仏壇の前で導師を務めさせていただき仏壇に向かってお経を唱えた後、10名ほどの参加者のお話を聞いていました。
すると突然、仏壇から男の人の「うおー」という声が聞こえました。振り向いたけど誰もいない。みんなの顔を見ても参加者の誰一人、気が付いていないようでした。嫌な気にもならなかったので気にせず解散となりました。
私の父親は心筋梗塞で亡くなりました。
3カ月の闘病の後、たくさんの管につながれたまま亡くなりました。命が消える1週間前、お見舞いに行ったときに奇跡的に意識を回復した父親と言葉を交わすことが出来ました。喉から呼吸器が突っ込まれていたので話すことが出来ず「うおー」としか言えなかったことを思い出しました。
仏壇から聞こえてきた男の人の声はきっと心筋梗塞で亡くなった父親の声だったのだと思います
私は何度も倫理体験ではなく臨死体験をしました。
全く自慢にはなりませんが、40代超えてから定期的に緊急入院をしています。42歳で糖尿病発覚、48歳で腰のヘルニア手術、52歳で急性膵炎、56歳で急性心筋梗塞。
すべての原因は自分自身を大事にして来なかったからだと思います。
私の20代はバブル経済真っ只中でワンレン、ボディコン。夜な夜な合コン、ディスコのお立ち台、私をスキーに連れてって、ゴルフ、テニス、スポーツカー乗り回して、お酒は毎晩一升くらい平気で飲んでました。バブルの女王そのものでした。
そして二回の結婚、
二回の離婚と二回の出産、一人目の主人の子どもは8カ月で早期出産で死産。
二人目の主人の子供とは18年間会えないまま今22歳になりました。
20歳代の親不孝が家庭運の無い人生を招いたのだと思います。
心筋梗塞の術後退院後、朝起きと仏壇にお経あげること、トイレ掃除の実践を100日続けました。何の見返りも求めない日常として取り入れて、やらないといけないと思う気持ちは捨てました。
緊急入院の間、会社や飲食店舗は従業員がやってくれました。おかげさまで現在は現場は従業員がすべてやってくれるようになり、営業活動に時間を使えるようになりました。
私は現在、日本維新の会で7月の参議院比例全国区の公認候補予定者でもあるのですが、心筋梗塞発症前は実は昨年の衆議院選挙の立候補をすると決めていました。
一旦は心筋梗塞を起こしたため立候補は保留になっていたのですが、9月には充分回復したと言うことで、公認をもらうため維新の本部で面談することになってました。
その日の朝、いつものように仏壇に向かうと父親の声がまた聞こえた気がして涙が止まらなくなり、今はまだ人のために働く時期だと脳裏に聞こえてきた気がしました。
自らの立候補を辞めて東海ブロックの候補者の後方支援をするという事に決めた。
候補者のために何が出来るのだろうか。
12日間東海ブロックの街宣活動キャラバンを行い比例票の掘り起こしで4県の全市に訪問しました。
そしておかげさまで日本維新の会は大躍進をさせて頂き、東海ブロックで2議席獲得出来ました。
私も少しだけでも貢献できたのだろうと思っています。
28歳で東京に行って、8年前に東京から伊賀に帰ってきました。
東京ではリゾートホテルの営業、芸能事務所の経営をしていましたが伊賀での8年間は観光事業や飲食業のプロデュースを営んできました。
コロナ禍で、観光や飲食業の試練の時期が続く中、自分の店だけでなく市内の飲食業の支援をどうすれば出来るのか。地方創生事業をどうすれば成し遂げられるのか。
地方から政治の形を変えていく必要があると思いはたどり着きました。
これまで代表として会社経営と政治活動を二足のわらじでやってきましたが、会社代表を辞任しました。
東京で一緒に芸能プロダクションをやっていた友人に会社経営は託して、政治活動としての地方創生のプロデュースをすることにしました。
代表になった彼女とは芸能事務所の仕事を一緒にしてきた仲間です。当時から彼女は会社経営に長けていて、私は女優のマネージャーとしての仕事を得意としていました。
伊賀に帰ってきて8年間、東京からの目線を持って地元を盛り上げようと頑張ってきたつもりですが、なかなか経営とプロデュースの両輪は一人では進まず右往左往していた私を東京から伊賀まで私を助けに来てくれた友人のおかげで停滞していた事業も一気に進んでいます。
8年前に伊賀に戻った私、東京で別れた友人と伊賀でまた一緒に仕事ができる縁。
すべては必然だと喜んでいます。
先日終わった選挙の話になります。
1月23日投開票で津市議会議員選挙がありました。
ご縁があり維新公認の女性新人候補の選対委員長になり一週間の選挙の指揮を初めてとらせていただき当選をさせていただきました。
令和4年初めての選挙戦。女性ばかりの選対を組んで闘いました。
普通の主婦がこんな過酷な世界に飛び込んできた。候補者としてチャレンジした勇気は素晴らしい。私はすべては候補者のためにやるのみです。
選挙違反を誘導するような他候補の攻撃や金銭の不当要求など、いろいろありました。改革を掲げた新人候補に対する心無い悪意を見て、聞いて、体験して、こんなことが若い新人や女性の議員を増やしていく妨げになるのです。変えていく努力をしていきたいと思います。
今年の元日に東京に残してきた娘からメッセージをもらいました。
「今年はお会いしたいと思います」
嬉しくて涙が溢れました。
己を尊ぶの極はささげる。日々精進していきたいと思います。
2022年02月19日
もう少しで死にかけたんです。
posted by 森口あゆみ at 21:52
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2019年06月13日
森口あゆみ〜くノ一の告白VO2
「くノ一の告白VO1」はすごく衝撃的過ぎたようでごめんなさい。周りの方に言われました。
私にとってはもう40年も前の話で、すでに昔の事、どんなことがあろうと前向きに生きて行けば未来も開けるよとお伝えしたいのです。
私はもともと高校受験では進学校に進み、大学に行きたいと考えていた。
両親は私に家庭教師をつけてくれていたのに、受験で一番勉強をしなければならない時期に落ち着かない毎日で、成績が上がらないし、同級生との気持ちの距離が出来てしまい、家から学校に行くのに10分の距離を遅刻するようになっていきました。
なぜか、中学2年の衝撃的な体験の前までの小中学校での同級生や先生のことがすっかり記憶から無くなり、未だに思い出せないのです。卒業写真を見ればこんな子がいたなと思うのですが、何もエピソードを思い出せない。
そして受験。進学校はあきらめて地元の商業高校に入学しました。
高校に入学してからは、男性とのお付き合いは全く無く、放課後は適当にスポーツや部活、週末はアルバイトの高校生活を送りました。女子が大半の商業高校だったので楽しい高校生活を送って来ました。
高校卒業からのお話はまた次回に。
私にとってはもう40年も前の話で、すでに昔の事、どんなことがあろうと前向きに生きて行けば未来も開けるよとお伝えしたいのです。
私はもともと高校受験では進学校に進み、大学に行きたいと考えていた。
両親は私に家庭教師をつけてくれていたのに、受験で一番勉強をしなければならない時期に落ち着かない毎日で、成績が上がらないし、同級生との気持ちの距離が出来てしまい、家から学校に行くのに10分の距離を遅刻するようになっていきました。
なぜか、中学2年の衝撃的な体験の前までの小中学校での同級生や先生のことがすっかり記憶から無くなり、未だに思い出せないのです。卒業写真を見ればこんな子がいたなと思うのですが、何もエピソードを思い出せない。
そして受験。進学校はあきらめて地元の商業高校に入学しました。
高校に入学してからは、男性とのお付き合いは全く無く、放課後は適当にスポーツや部活、週末はアルバイトの高校生活を送りました。女子が大半の商業高校だったので楽しい高校生活を送って来ました。
高校卒業からのお話はまた次回に。
posted by 森口あゆみ at 21:21
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| 森口あゆみ
2019年06月12日
森口あゆみ〜くノ一の告白VO1
11日夜に行われた「フラワーデモ」性暴力無罪判決への抗議のニュースを見ました。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019061190224525.html
私が政治家として一番に何と闘っていくのかが明確にわかりました。
少しずつ自分のことを書いていこうと思います。
私は中学二年生14歳の時に両親が経営をしていた工務店に勤めていた営業の当時29歳の既婚の男性と初めての性交渉をしました。もちろん同意の下ではありません。
家族で一泊旅行に行くことになっていたのですが、私が風邪をひいて熱を出してしまったので、従業員だったその男性に両親は私を預けて弟を連れて出かけて行きました。
その日の夜のことです。私の寝室に来てその男性は強引に私に性交渉をしました。
初潮が13歳に始まったばかりで、中学でも男性と交際もしたことがない私は抵抗も出来なかったのです。
バスケットボール部で活動していたせいか、出血がなかった私に対して、「初めてじゃなかったんだな、親には言うなよ」と言って、次の日から連日私の寝室に忍び込んでくるようになりました。
一家団らんの場所に、その男性は自分の幼い息子を連れてきて、両親と歓談しながらテーブルの下では私を触るという大胆な行動に出るようになりました。
一年ほど経ったある日、両親の工務店を辞めたと言うことで学校帰りの私に車の中から3000円ほどのお金を差し出しましたが、私は受け取らず別れました。それが最後でした。
私は両親を苦しめたくなく、死ぬまでこのことは言わないと決めました。
そして両親も亡くなり、その男性も50代で亡くなったそうです。
その後の私がどうなっていったのかは、また次回にお話します。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019061190224525.html
私が政治家として一番に何と闘っていくのかが明確にわかりました。
少しずつ自分のことを書いていこうと思います。
私は中学二年生14歳の時に両親が経営をしていた工務店に勤めていた営業の当時29歳の既婚の男性と初めての性交渉をしました。もちろん同意の下ではありません。
家族で一泊旅行に行くことになっていたのですが、私が風邪をひいて熱を出してしまったので、従業員だったその男性に両親は私を預けて弟を連れて出かけて行きました。
その日の夜のことです。私の寝室に来てその男性は強引に私に性交渉をしました。
初潮が13歳に始まったばかりで、中学でも男性と交際もしたことがない私は抵抗も出来なかったのです。
バスケットボール部で活動していたせいか、出血がなかった私に対して、「初めてじゃなかったんだな、親には言うなよ」と言って、次の日から連日私の寝室に忍び込んでくるようになりました。
一家団らんの場所に、その男性は自分の幼い息子を連れてきて、両親と歓談しながらテーブルの下では私を触るという大胆な行動に出るようになりました。
一年ほど経ったある日、両親の工務店を辞めたと言うことで学校帰りの私に車の中から3000円ほどのお金を差し出しましたが、私は受け取らず別れました。それが最後でした。
私は両親を苦しめたくなく、死ぬまでこのことは言わないと決めました。
そして両親も亡くなり、その男性も50代で亡くなったそうです。
その後の私がどうなっていったのかは、また次回にお話します。
posted by 森口あゆみ at 11:38
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| 森口あゆみ
2019年06月09日
参議院選挙、日本維新の会公認発表がありました。
5日に党での公認の発表がありました。いよいよ活動開始です。
三重県、近畿地方、東海地方を軸足に芸能や映画業界の裏方の経験を生かし、母親、働く女性、額に汗を流して現場で働く人達の目線で日本維新の会と共に古い政治を壊し、あたらしい政治を創って行きたいと考えています。
森口あゆみの立候補の動機です。
@地方行政の無駄の是正。
私が生まれました1965(昭和40)年、基礎的自治体は三重県上野市。2004(平成16)年に平成の合併が行われて、現在は伊賀市。合併協議は三重県名張市を含む7市町村でしたが、名張市が離脱して6市町村で伊賀市が誕生しました。
しかし従前の三重県伊賀庁舎で2つの自治体を統括しています。例えば県道や二級国道の整備には、伊賀建設事務所が両市の要望の聞き取りをして、本庁の県土整備部に予算要求とともに、国の機関に予算要望をしています。
国は、教育・環境・医療・福祉・観光をはじめ様々な行政に県や市を統括することなく、予算や制度を基礎的自治体に任せることによって、行政職員の人件費を含めて広義的な街づくりに無駄を解消させることができると考えています。
A女性の参画促進。
時の課題は少子化。ずいぶんと以前から議論をされていますが、一向に改善の兆しが見えません。とかく出産や保育に対する制度改正が具体的施策として話題に上ります。しかし本質はそれだけでは無いように思ってなりません。言葉を選ばずに、語弊を恐れずに申し上げるならば、世帯主に経済的余裕が見いだせるならパートナーの一方は家事に専念する時間が増加するでしょう。平成の時代に国民の格差が広がったように伝えられていますが、昭和の時代には、まじめに働けば生活は豊かになっていきました。出産や保育だけにとどまらず、生活の豊かさの切り口を横串に少子化対策を解消したいと考えています。
直球で少子化対策にボールを投げられるには、女性の参加促進が必須です。
B二回の県議選挙に敗戦して。
相対したのは、自民党と旧民主党。建設業や医療福祉業界をはじめとする自民党支持団体と連合に代表される労働組合、同時に候補者の親戚や同級生、または候補者地元の地域に対して、政策を掲げ、時代変化を問いかけ、声をからしても、所詮は衆議院議員選挙小選挙区の代理戦争に終わりました。
支持団体や支援組織のための政治でなく、額に汗を流して働く多くの人たちが報われる日本を再構築していきたいと考えています。
三重県、近畿地方、東海地方を軸足に芸能や映画業界の裏方の経験を生かし、母親、働く女性、額に汗を流して現場で働く人達の目線で日本維新の会と共に古い政治を壊し、あたらしい政治を創って行きたいと考えています。
森口あゆみの立候補の動機です。
@地方行政の無駄の是正。
私が生まれました1965(昭和40)年、基礎的自治体は三重県上野市。2004(平成16)年に平成の合併が行われて、現在は伊賀市。合併協議は三重県名張市を含む7市町村でしたが、名張市が離脱して6市町村で伊賀市が誕生しました。
しかし従前の三重県伊賀庁舎で2つの自治体を統括しています。例えば県道や二級国道の整備には、伊賀建設事務所が両市の要望の聞き取りをして、本庁の県土整備部に予算要求とともに、国の機関に予算要望をしています。
国は、教育・環境・医療・福祉・観光をはじめ様々な行政に県や市を統括することなく、予算や制度を基礎的自治体に任せることによって、行政職員の人件費を含めて広義的な街づくりに無駄を解消させることができると考えています。
A女性の参画促進。
時の課題は少子化。ずいぶんと以前から議論をされていますが、一向に改善の兆しが見えません。とかく出産や保育に対する制度改正が具体的施策として話題に上ります。しかし本質はそれだけでは無いように思ってなりません。言葉を選ばずに、語弊を恐れずに申し上げるならば、世帯主に経済的余裕が見いだせるならパートナーの一方は家事に専念する時間が増加するでしょう。平成の時代に国民の格差が広がったように伝えられていますが、昭和の時代には、まじめに働けば生活は豊かになっていきました。出産や保育だけにとどまらず、生活の豊かさの切り口を横串に少子化対策を解消したいと考えています。
直球で少子化対策にボールを投げられるには、女性の参加促進が必須です。
B二回の県議選挙に敗戦して。
相対したのは、自民党と旧民主党。建設業や医療福祉業界をはじめとする自民党支持団体と連合に代表される労働組合、同時に候補者の親戚や同級生、または候補者地元の地域に対して、政策を掲げ、時代変化を問いかけ、声をからしても、所詮は衆議院議員選挙小選挙区の代理戦争に終わりました。
支持団体や支援組織のための政治でなく、額に汗を流して働く多くの人たちが報われる日本を再構築していきたいと考えています。
posted by 森口あゆみ at 18:47
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| 森口あゆみ
2019年06月06日
明日への一歩
はじめの一歩
ちいさな一歩
みんなと一歩
大きな一歩
明日への一歩
幾度となく申し上げてまいりました。
少子・高齢・人口減少のこの時代に、従来の政治構造や小手先の改革では、日本にあかりが見えません。
今の政治家は、議員に就職し、安定した議員ライフを満喫するために、喫緊の議題に正面から立ち向かわず、問題の先送りが目立ちます。
また選挙支援組織や団体への税の配分や制度改革など、一般国民の生活から政治はかけ離れています。
今、正面から、血みどろになってもやり遂げたい課題は、
@子供たちを社会で育てます。
A年金制度を抜本的に見直します。
B地方都市の自立と東京一極集中を是正します。
今、この時に、前に、勇気を持って、再び日本にあかりを灯しませんか。
ちいさな一歩
みんなと一歩
大きな一歩
明日への一歩
幾度となく申し上げてまいりました。
少子・高齢・人口減少のこの時代に、従来の政治構造や小手先の改革では、日本にあかりが見えません。
今の政治家は、議員に就職し、安定した議員ライフを満喫するために、喫緊の議題に正面から立ち向かわず、問題の先送りが目立ちます。
また選挙支援組織や団体への税の配分や制度改革など、一般国民の生活から政治はかけ離れています。
今、正面から、血みどろになってもやり遂げたい課題は、
@子供たちを社会で育てます。
A年金制度を抜本的に見直します。
B地方都市の自立と東京一極集中を是正します。
今、この時に、前に、勇気を持って、再び日本にあかりを灯しませんか。
posted by 森口あゆみ at 17:52
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| 森口あゆみ
2019年05月26日
全国に向けて最初の一歩です。
相対評価と絶対評価。
身近な事柄が理不尽過ぎる。
父親の友人が亡くなったが、救急医療体制が整っていなかった。
人口減少対策と政策を並べるが、末端の景気が悪過ぎる。
地方から改革を望んでも、衆議院議員選挙の代理戦争が地方政治を縛っていて、そこに何を期待できるのだろう。
大きな支援団体のための政治、見返りを期待する政治、私には大きなそして明確な支援組織は無いけれど、お一人おひとりの政治に対する矛盾や理不尽さを国から変えてく!
この世の中に、誠、があるならば、日本中から森口あゆみを集めます。
高卒でバツ2、社会の矛盾をいっぱい知っている私に、最初の一歩、小さな一歩、そして明日への一歩となりますよう、ご支援を心よりお願いします。
身近な事柄が理不尽過ぎる。
父親の友人が亡くなったが、救急医療体制が整っていなかった。
人口減少対策と政策を並べるが、末端の景気が悪過ぎる。
地方から改革を望んでも、衆議院議員選挙の代理戦争が地方政治を縛っていて、そこに何を期待できるのだろう。
大きな支援団体のための政治、見返りを期待する政治、私には大きなそして明確な支援組織は無いけれど、お一人おひとりの政治に対する矛盾や理不尽さを国から変えてく!
この世の中に、誠、があるならば、日本中から森口あゆみを集めます。
高卒でバツ2、社会の矛盾をいっぱい知っている私に、最初の一歩、小さな一歩、そして明日への一歩となりますよう、ご支援を心よりお願いします。
posted by 森口あゆみ at 09:32
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| 一歩の会
2019年01月01日
2019年元旦、明けましておめでとうございます。平成最後のお正月です。
2019年元旦。平成最後のお正月です。
2014年10月に伊賀に戻ってきて、2015年4月に選挙に落選して、
2015年8月に母親が亡くなって、ひとりきりの元旦の夜を迎えるのは3回目
私には関東に大学生の19歳になる娘がいる。
伊賀に帰るまでの20年間、東京では芸能事務所経営をし、マネージャーという職業が自分の天職だと思っていた。娘との生活よりも仕事を優先したために、4歳の時に別れて主人のご両親にここまで育てていただきました。同じ関東でいつでも会える環境から、ひとりで伊賀に帰ってきた。
娘と別れてまで優先した仕事、親子のように、姉妹のように育ててきた女優達とも別れてまでなぜ帰ってきたのか。いろんなタイミングが重なった。
名古屋にひとり住んでいた母親が余命わずかだったせいもある。
伊賀の國忍者映画祭の後始末もあったからでもある。
だけど、選挙に負けたときに東京に帰る選択肢もあったはずだ。
選挙に落選した時から、政治のことは迷っていた。
自分ひとり食べて行くための仕事だけなら、無理しなくてもいいと思っていた。
一昨年の夏、臨死体験をした。
2日間ほど意識がさまよっていた。でも帰ってきた。
私にはこの世でやらないといけない役割があるんだと思った。
退院して直ぐに衆議院選挙の応援、そして維新政治塾に入塾。
伊賀で名張で私しか出来ないことあるでしょうと思った。
今年、娘は20歳になる。
娘が自慢できる母親に、私が何者かにならなければ会うことは出来ない。
今年は勝負の年、負けられない。
2014年10月に伊賀に戻ってきて、2015年4月に選挙に落選して、
2015年8月に母親が亡くなって、ひとりきりの元旦の夜を迎えるのは3回目
私には関東に大学生の19歳になる娘がいる。
伊賀に帰るまでの20年間、東京では芸能事務所経営をし、マネージャーという職業が自分の天職だと思っていた。娘との生活よりも仕事を優先したために、4歳の時に別れて主人のご両親にここまで育てていただきました。同じ関東でいつでも会える環境から、ひとりで伊賀に帰ってきた。
娘と別れてまで優先した仕事、親子のように、姉妹のように育ててきた女優達とも別れてまでなぜ帰ってきたのか。いろんなタイミングが重なった。
名古屋にひとり住んでいた母親が余命わずかだったせいもある。
伊賀の國忍者映画祭の後始末もあったからでもある。
だけど、選挙に負けたときに東京に帰る選択肢もあったはずだ。
選挙に落選した時から、政治のことは迷っていた。
自分ひとり食べて行くための仕事だけなら、無理しなくてもいいと思っていた。
一昨年の夏、臨死体験をした。
2日間ほど意識がさまよっていた。でも帰ってきた。
私にはこの世でやらないといけない役割があるんだと思った。
退院して直ぐに衆議院選挙の応援、そして維新政治塾に入塾。
伊賀で名張で私しか出来ないことあるでしょうと思った。
今年、娘は20歳になる。
娘が自慢できる母親に、私が何者かにならなければ会うことは出来ない。
今年は勝負の年、負けられない。
posted by 森口あゆみ at 22:52
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| お知らせ
2018年05月03日
GW後半
ゴールデンウイークの後半になりました。
連休は弊会の施設にも観光のお客様が沢山来られています。
この3年間で伊賀での組織を立ち上げ、上野公園内愛間亭と阿山ふるさとの森の2施設と飲食・芸能・施設運営の3事業部になりました。
参考★901通信表.pdf
参考★チラシ内.pdf
社員や協力スタッフもずいぶんと増えました。
これからもっと企画や商品開発を充実していきたいと考えています。
自分の組織だけが良ければと言うことではなく、
伊賀地方全体を発信して伊賀の市民が商店が豊かで楽しい生活を送れること。
まだまだ民間ベースで観光の実践事業で雇用も増やして、地方創生に貢献します。
posted by 森口あゆみ at 15:12
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| 忍者文化協会
2018年01月15日
3年間の伊賀の暮らし
一年に数回しか書かないブログです。
東京から伊賀に住民として戻って3年と3ヶ月になりました。
伊賀盆地の冬はとても寒いです。
この4月に1人娘が短大に入学します。
娘が4歳の時に離れてもう15年になりました。
女優を目指すための短大に入学する娘。
私は東京で15年、俳優事務所を営んできて、
伊賀に戻り地域創生のためのプロデュースをするために、俳優事務所を閉めた。
娘のために何ができるのか。
伊賀の子供たちの地域発信アイドルをプロデュース
地元の飲食店のプロデュース
文化施設の再生プロデュース
まちづくりのためのイベントプロデュース
伊賀発信の映像や音楽のプロデュース
今、私はプロデューサーとして結果を出していく事が目標であり義務だと思っている。
伊賀の次世代のために。
関東での活動は伊賀で結果を出してから。
一人娘のために。
posted by 森口あゆみ at 01:17
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| 森口あゆみ
2017年07月06日
伊賀での活動が2年半になりました。
ブログを更新するのが1年ぶりです。
この一年でずいぶんと変化がありました。
一般社団法人忍者文化協会にて
2017年よりお借りして管理しています上野公園内の「愛間亭」、
2018年12月に文化財である成瀬平馬門隣接地に「忍者長屋いがもん市場」オープン。
2019年4月より伊賀市より業務委託をお受けして
「あやまふるさとの森公園」のキャンプ場施設の管理運営、
上野公園内の茶室「偲翁舎」清掃管理をさせていただいています。
株式会社くノ一にて
2017年9月から上野公園内愛間亭にて営業しています「くノ一家おもてなし処愛間亭」の二号店
「くノ一家呑屋台成瀬平馬門」を忍者長屋いがもん市場内に2018年12月より営業しています。
2019年7月7日にイノベーションコンサルタント、都市再生、まちづくりを目的とした
株式会社アーキテクトを開設する運びとなりました。
民間で出来るまちづくり。
地域の皆様に参加いただいて、まだまだネットワークを広げていきたいと考えています。
次世代のためのまちづくり、
伊賀に訪れた観光客の皆さんがまた訪れたいと思えるまちづくり、
伊賀市住民の老若男女の皆さんが楽しめる施設作り、
私自身が都会から戻ってきて、伊賀にあったらいいと思うものを創造していきたいと思います。
事業を進めるのに、ずっと芯にあるものは松尾芭蕉翁の「不易流行」です。
この一年でずいぶんと変化がありました。
一般社団法人忍者文化協会にて
2017年よりお借りして管理しています上野公園内の「愛間亭」、
2018年12月に文化財である成瀬平馬門隣接地に「忍者長屋いがもん市場」オープン。
2019年4月より伊賀市より業務委託をお受けして
「あやまふるさとの森公園」のキャンプ場施設の管理運営、
上野公園内の茶室「偲翁舎」清掃管理をさせていただいています。
株式会社くノ一にて
2017年9月から上野公園内愛間亭にて営業しています「くノ一家おもてなし処愛間亭」の二号店
「くノ一家呑屋台成瀬平馬門」を忍者長屋いがもん市場内に2018年12月より営業しています。
2019年7月7日にイノベーションコンサルタント、都市再生、まちづくりを目的とした
株式会社アーキテクトを開設する運びとなりました。
民間で出来るまちづくり。
地域の皆様に参加いただいて、まだまだネットワークを広げていきたいと考えています。
次世代のためのまちづくり、
伊賀に訪れた観光客の皆さんがまた訪れたいと思えるまちづくり、
伊賀市住民の老若男女の皆さんが楽しめる施設作り、
私自身が都会から戻ってきて、伊賀にあったらいいと思うものを創造していきたいと思います。
事業を進めるのに、ずっと芯にあるものは松尾芭蕉翁の「不易流行」です。
posted by 森口あゆみ at 14:57
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| 森口あゆみ